先日とある人から「自分のうちは設計しないんですか?」と聞かれました。よく聞かれるので別になんて質問ではないんですが、いつもは「自宅を設計しても全く設計料が入らないから(^^ゞ」とかわすようにしています。その実は「お金がないから(^^ゞ」とも言えますが・・・
という私の自宅は自分で設計したところではありません。その理由を話し出すと長くなるので、ざっくりまとめておくと「諸般の事情で」そうなっております。
もっとも大学で教えているときも学生に「先生の自宅は自分で設計したのですか?」とよく聞かれますよね。まぁ、ほとんどの場合は理由を説明せずに、上記したどちらかの「返事」をすると収まりますが、冒頭の「とある人」はさらにつっこんできました。
「建築家って自分の家を設計したいんじゃないですか??」
う~ん、そうか。世間ではそういう風に見られているわけですね。でも考えてみれば、ごくまれに学生でも「夢(目標)は自分の家を設計することです」とかいう人いてますね。
結論を先に言いましょう。「そんな程度のことが夢や目標ですか?」
だったらやめなさい。やめといたほうが、世のため人のためです。
「設計事務所の建築士」という職業で考えるとわかりにくいですが、これを違う職業に置き換えるとわかりやすいかも知れません。
・医者–自分の病気を治したいから医者になる?
・料理人–自分が毎日おいしいものを食べたいから料理人になる?
・教師–自分の子供にいい教育をさせたいから教師になる?
・車屋さん–自分がいい車を乗り回したいから車屋さんになる?
だんだん面倒になってきましたが(^^ゞ、仕事で「自分が」ということを目標にすることはほとんど無いと思います。「ついでに」というのはかろうじてあるかも知れません。が、もしそういう状況になるのなら「別の専門家」に頼むのかも知れませんね。
もう一つ。なぜそれが「やめなさい。やめといたほうが、世のため人のため」か?
自分の仕事がその程度のことしかできないのであれば、やめておいた方がいいです。ただの自己満足です。自己満足で仕事されると依頼者は迷惑きわまりないです。
医者になろうと思った人は、料理人になろうと思った人は、教師になろうと思った人は、車屋さんになろうと思った人は、その自分の得て積んできた技術や知識を「世の中に役に立てよう」「目の前の依頼者に笑顔になってもらいたい」「そんな社会を作りたい」そう思ったからその仕事を選択しているのではないでしょうか?
私も同じです。建築設計事務所として「いかに世の中に役に立つのか」「困っている依頼者を目の前にしたときに自分にどんなことができるのか」「一人でも多くの人に笑ってもらいたい」そう思って、それを目指して日々業務をしています。
先の「夢(目標)は自分の家を設計すること」だとすると、自分の家が設計できたら建築の仕事やめちゃうのでしょうかね? 満足しちゃうのでしょうかね?
やっぱりおかしいと思っちゃいます。自分を研鑽することに終わりはありません。みんなに幸せになってもらいたい。ただそれだけが夢(目標)ではダメですか(笑)
ちなみに、私にはお金も時間もないですから、自邸を設計する日が来るかどうかはきわめて不透明です・・・。