先日「休みってあるんですか?」と聞かれて、ふと思うことがありました。さて、休みって何だろうか?と。
休みをどう定義するかにもよるのですが、「事務所に来ない日」といわれると、あるような無いような。ただ、家にいてもPCやiPadなどはいつも手元にあるので、事務所にいなくても仕事はできます。実際、夜や早朝に自宅で図面や書類を作成したりやメールをしている事もしばしば。
たとえば「映画を見に行く事」や「読書をする事」、あるいは「家族と旅行に行く事」「子供の参観日に行くこと」などを「休みにすること」と定義すると、それらは自分で予定を組んで予定をこなせばいいだけなので、それ自体を土日にする必要はありません。コンサートに行くのも買い物に行くのも別に平日の都合のいい時間に設定すればその時間は「休んでいる」ことになります。
ただ、この仕事をしていて思うのですが、その「休んでした行為」は「仕事」につながることも多く、見方を変えればそれらはすべて「仕事」の延長でしかないとも思うわけです。私は「仕事」と「休み」を区別したことがないのです。設計事務所の仕事はその人の生き方全てですし、経験したこと全てが積み重なって「もの」が出来るんだと思っています。
だから、設計者にはというより、少なくとも私には「休み」という概念も「仕事」という概念もないのです。
ただ毎日・毎時間・毎分が連続してつながっているだけで、明日は休み、とか、明日から仕事、という事ではなく、自分がしなければいけないことややりたいことを自分の中で順序を決めて進めて行っている、それだけ、ということです。
そんなわけで、いつまで経っても設計事務所は最近はやりの「ブラック企業」なのかもしれませんし、「究極のフレックスタイム制」なのかもしれません。もっとも、何時から何時でこれを作って、ということがいつも一定にできるわけではない仕事であること間違いありません。できるときは朝から絶好調でできますし、できないときは何時間経ってもできないものです。このあたりが「ものづくり」の難しさなのかもしれません。