ほんとうの環境問題 – 池田 清彦 , 養老 孟司 (著)

# 単行本: 189ページ
# 出版社: 新潮社 (2008/03)
# 価格: ¥ 1,050 (税込)


「本棚」カテゴリーに書き込むのは1年以上ぶりですね。もっとも最近はホームページのアップ自体が滞っていますが・・・。1年間本を読んでいないというわけではないんですが・・・。


さて、最近の私は「環境問題」に関心があります。しかし、いわゆる根拠もわからずに「エコ」だとか「地球に優しい」とかよくわからない抽象語で語られ、流されている現状にいらっときていますので、どちらかというと「そちらより」の環境問題本を読みあさっています(笑)


普段からいっているのですが、人間の存在自体が環境に良くないんだから、地球に優しくしようと思えば「自殺」するしかありません。以前依頼者の要望で住宅の環境共生(最近この言葉も余り聞かない??)について調べたことがあります。太陽光利用、太陽熱利用、地熱利用、蓄熱施設、雨水利用、風利用etc・・・


で、結局行き着いた結論は、どれを使っても「維持管理を含めて、投じたコストとエネルギーを回収することは困難である」ということ。つまり、何もせずおとなしくこぢんまりと生活することがもっとも環境負荷が小さいことに気づいたわけです。


それをもう一歩つっこんで考えてみると、「地球に優しい」とか「温暖化防止のためにCo2を減らす」とかいって運動していること自体が「運動の目的に」になっているのではないか。つまり、例えばスーパーの袋をやめてエコバックを買いましょう、とか、ペットボトルのリサイクルをしましょう、とか、マイ箸を持ち歩きましょう、とか、どれをとってもそれがどれだけ環境負荷軽減になっているのか理解しているのか?という疑問ばかりではないですか? 何となく、世間の風に流されて「エコ」っぽいことをしておけば大丈夫、的に思っていませんか?


そもそもエコバックなんてなくても、普通はカバンを持っているわけだから、普通にスーパーの袋なんてもらわなければいいですし、ペットボトルが本当に環境に悪いと思うのならみんなで買わなければいい、マイ箸にいたっては割り箸の生産コストとマイ箸を製作して持ち歩くコストの比較なんてまともにしたことがないでしょう。


だから私は現状を「エセエコ」だと思ってしまうのです。そもそも地球は温暖化しているのか、CO2だけが悪者なのか、温暖化が悪いことなのか、そういったことを議論しないといけないのに、すっ飛ばして「CO2削減」ばかりが先行して言われています。だいたい人間がいればいるだけ活動に合わせてCO2が発生するのは当たり前のことですし、文明や生活レベルが上がるほど増えるのは当然です。夏は暑い、冬は寒い、東京-大阪は1週間かかる、とかいう生活に戻れば別でしょうが、そんなことさらさら考えてないでしょう。


エネルギーの無駄遣いをやめる、というのは非常に大事なことです。それを「地球温暖化防止」とつなげたり「CO2削減だ」と意味もなく叫ぶのとは全く異なります。現在の環境問題は完全に利権化しているのです。だから、洗脳されないことを願うのです。自分の頭で考えることを切に望むのです。世の中の圧倒的多数を洗脳してコントロール下におくと、環境利権を持つ連中はずっと美味しい思いができるわけです。そして洗脳された市民はやれリサイクル料だ、やれ環境税だと、ずっと搾取されることになるのです。


「エセエコ」やめませんか?