ガン漂流記 - 奥山 貴宏 (著)

  


2005年4月17日(ちょうど一年ほど前)にガンで亡くなった奥山 貴宏 氏の「闘病記」である。
三冊あり、「31歳ガン漂流」「32歳ガン漂流エボリューション」「33歳ガン漂流ラスト・イグジット」。


以前、奥山氏の最初で最後の小説となった「ヴァニシングポイント」を紹介し、最後に”「31歳ガン漂流」シリーズを手に取ってみようかと思う。”と書いたので手に取ってみたという次第。

何となくヴァニシングポイントよりは読みやすかった。「終末期をいかに過ごすか」について考える。


私も時々、私の寿命を決めている神様なるものからある日連絡があって
「あー、神様だけどぉー、ちょっとこっちの手違いで明日死んでもらうことになったんだ。まぁ、今さらどうしようもないので、一つよろしく!」なんてことを言われて急に死ぬことが決まったらどうしよう、なんて考える。
もちろん、これは”明日”でなくたって、”あと2年ぐらいね”なんてこともあるだろうし、今日事故や災害で急にお呼びがかかるかもしれない。


でも、私としては、”今”じゃなくて”明日”以降少なくとも24時間以上は欲しいなぁ、自分に残された時間をどう過ごすかを大切にしたいなんて思うわけです。


今、日本人の死亡原因は「ガン、心臓病、脳血管障害」の順にガンが約3割を占めるそうです。また、心臓病、脳血管障害を含めるとこの3つで6割を占め、不慮の事故は4~5%だそうです。となると、「余命を知る」可能性というのは意外と高いのかもしれない。


当然のことながら「死なない」人はいません。いつか死ぬことがわかっていて、いつ死ぬかがある程度わかるというのは人間として幸せかもしれませんね。


そこで、この作者は、物書きで文章を書くことでしか自分が自分であれないという強い意志を持って、死ぬ最後の最後まで書く仕事をする。そして3冊の闘病記と1冊の小説を残したことになる。それはありだ。自分というものをこの世の中に記すという意味では。


翻って、私の場合どうなるのだろう。設計事務所なるものをしているが、何かかたちのあるものを残す仕事だとは思っていない。「図面書いて”作品”残すのじゃないの?」とお思いの方は過去の”コラム”を読んでください。私もどこに書いたか忘れましたが、私たち設計者の仕事は依頼者のイメージを実現するための「アシスト」にすぎません。
ただ、紙に線を引いたり字を入れたりしているだけです。正確に言うと、ものを作っているのは、工務店だし。


私が世に残せるもの、っていうほどたいしたものは無くて、結局は私と関わった施主の皆さん始め、学生さんだったり、たまたまどっかの講演を聴いてくれた人だったり、道ですれ違ったりした方々の心の片隅のどっかちっぽけな所に「そういえばあんな奴おったなぁ」なんて思われることでしかないのかなぁなんて。それはそれで十分だし、私はとても今の自分の仕事を誇りに思っていますので全く問題ありませんが。


思いっきり話が脱線しましたが、奥山氏の3冊の「ガン漂流」シリーズは、私にとってはヴァニシングポイントよりは好感が持てましたということで。