隠された証言―JAL123便墜落事故
著:藤田 日出男
# 単行本: 259ページ
# 出版社: 新潮社 (2003/8/12)
墜落遺体―御巣鷹山の日航機123便
著:飯塚 訓
# 文庫: 292ページ
# 出版社: 講談社 (2001/04)
墜落現場 遺された人たち―御巣鷹山、日航機123便の真実
著:飯塚 訓
# 単行本: 242ページ
# 出版社: 講談社 (2001/05)
日航ジャンボ機墜落―朝日新聞の24時
著:朝日新聞社会部
# 文庫: 331ページ
# 出版社: 朝日新聞社 (1990/08)
ふとしたことがきっかけで、85年の日航機墜落の話を思い出したので、その時の本を読んでみようと思って一気に手に取ったのがこれらの本達です。
私は当時幼かった(!)(ということにしておこう)ので、”飛行機が墜落した”というとんでもないことがおこったことは認識したのですが、それがどの程度大変なことなのか、なぜ飛行機が飛んで、なぜ落ちたのか、ということにあんまり深く考えませんでした。圧力隔壁や急減圧なんてことはわからないまま頭の片隅で記憶のかけらとして残っていますが、それが何を意味するのかなんてさっぱりわかりませんでした。
昨年、墜落から20年が経って事故にまつわるテレビ報道やドラマなどがたくさん作られたのは覚えていますし、今年1~3月に「神はサイコロをふらない」という飛行機事故をモチーフにした連続ドラマがあったことが、遠因になったのかもしれません。なぜだか突然「日航機墜落事故」を思い出したのでした。
私は物書きではありませんので、技術的な側面として、「飛行機が操縦不能になった」という現象をどう捉えて検証するか、ということが興味深いところでした。藤田氏の検証方法が運輸省の事故調報告書との見解の違いを立証するためにあったり、飯塚氏・朝日新聞の公式コメントで事故調側の肩を持つ話がそれっぽく書かれたり、いずれも”一理”あるなぁと正直に思ったり。
ただ、どちらが理論的かというと、私は少なくとも藤田氏の方に軍配があると考えています。つまり、「圧力隔壁の破壊・急減圧はなかった。はじめに垂直尾翼が破断して操縦不能に陥った」という説が筋が通っていると考えています。それは、両者自分に都合のいい資料しか提示していないからかもしれません。
ある種政治的なバランスで事故が解決されたのかもしれないと言うことは思いました。
翻って、現代社会を考えてみると、BSEの問題や飛行機・鉄道・エレベーターの事故、耐震偽装、社保庁の不正、ライブドア・村上ファンド、などなど、いろんなことが起きます。
それを断片的にとらえていくことで、マスコミなどは一方的に情報を流すだけ、という状態が続いています。しかも、次から次へと新しい”マスコミ受けする”ネタが飛び込んでくるので、「ところで、アメリカの牛は来るの?」とか「ヒューザーのマンション買った人はその後どうなったの?」とか、「日航の整備不良の問題どうなったの?」とか、追っかけて報道してくれません。
そんななかで、何となく他人事のような間隔になって、断片的に流される情報だけにとらわれて、大きな流れを検証したり深く突き詰めたりすることができなくなってきています。
実は今私たちに求められているのは、断片的な情報ではなく流れをしっかりとつかむことであり、事件事故の背景に迫ることのような気がします。そのためにはマスコミの一方的な報道を鵜呑みにするのではなく、全ての情報を疑ってみることがよりよく生きるための方策なのかもしれないと思うのです。「疑う」というと全く信用していないみたいですが、そうではなく自分の目で裏をとると言うことが大切だと言うことです。
マスコミ情報を一方的に信用する、政府の発表を鵜呑みにする、というのは85年の日航機事故からなんら変わっていないではないかと思うのでした。