なんだか、5つほど「構造計算書偽造事件」について書いていたので、もういいです。
本当は良くないですけど、少し違う話題に。
美しいもの。
私も建築の設計に携わる人間ですので、多少なりとも美しいものについて考えます。
最近読んだ二つの本をご紹介。
天才数学者たちが挑んだ最大の難問―フェルマーの最終定理が解けるまで ハヤカワ文庫NF―数理を愉しむシリーズ
アミール・D. アクゼル (著), Amir D. Aczel (原著), 吉永 良正 (翻訳)
出版社: 早川書房 ; ISBN: 415050282X ; (2003/09)
博士の愛した数式 新潮文庫
小川 洋子 (著)
出版社: 新潮社 ; ISBN: 4101215235 ; (2005/11/26)
以前このホームページでも、藤原正彦さん(数学者)と小川洋子さん(作家)の共著の「世にも美しい数学入門」の紹介をさせてもらったが、私は結構数学好きです。また、今私の中でちょっとしたブームになっています。
まず、「博士の愛した数式」はとても読後感がいい本でした。
ほっとするというか、安心するというか、暖かい気持ちになれるというか。数学好きな私ですが、学校数学を遠い昔に挫折した方にも安心してお勧めできます。良いお話ですし、文章も軟らかいですし、数学を押しつけていないところが好感を持てました。映画化(公式HP)されるそうです。それも杏子役が深津絵里さんで。いいですねぇ。映画も楽しみです。彼女のみずみずしい演技とストーリーがとってもあいそうです。見る前からとても楽しみです。先日紹介した「スイングガールズ」もそうですが、最近日本映画もいいのがありますものね。大いに期待しています。
その中で出てくるのがオイラーの公式
eiπ + 1 = 0
これは、自然対数の底eと2乗したら-1になる虚数iと円周率πを組み合わせて1を足すと何故か0になるという狐につままれたような公式です。この一見、全く関係のない数学の基本的な定数を組み合わせると誰もが知っているものになってしまうというのが”潔い!”ではないですか。
「天才数学者たちが~」というのは、ご存じ(!?)フェルマーの最終定理「xn+yn=zn(n≧3)を満たす自然数解(x、y、z)は存在しない」というものを、この定理をメモしてから後300年にわたった様々な数学者が証明しようと挑戦した記録です。
また、フェルマー自身のメモに、『私はこのことの真に驚くべき証明を発見したが、それを記すには余白が小さすぎる』なんて、意味深なコメントを残すもんだから、以後様々な数学者、アマチュア数学愛好家たちの頭を悩ますことになるのです。
この書籍の中で、フェルマーの最終定理を1994年に証明したイギリスの数学者アンドリュー・ワイルズは、証明が完成した瞬間を「それは私の数学者としての人生の中で最も重要な瞬間でした。突然、まったく不意にこの信じがたい天啓を得たのです。あんなことは二度と起きないでしょう。言葉にできないほど美しく、あまりに単純でエレガントだったので・・・最初は信じられなかった」 と語ったと言います。数学がお好きな方にはおわかりかと思いますが、数学が証明できた時の気分というのはこの言葉に代表されるように、非常に美しく、単純で、エレガントなのです。
最も、私のような一般人がする証明は高校や大学数学の問題程度ですが。気分だけは同じです(笑)。
もっともフェルマーの最終定理が証明できたところで私たちの生活には何ら影響はありません。どちらかというと世の役に立たない(立ちそうにない)定理のうちの一つにすぎません。しかし、これらの本を読んで私は建築の美しさと数学の美しさには非常に共通項があると感じました。
オイラーが一見関係のないeとiとπを組み合わせて公式を作ったり、「言葉にできないほど美しく、あまりに単純でエレガントな」証明をしたり、というのは全く同じ瞬間が建築設計にもあります。プラン一つとってもその敷地にその間取りしか考えられないような、非の打ち所のない、まさにそうなることが最初から決まっていたかのようなスタイルというのが存在します。そこには一切の妥協もなく、一切の説明もいらないぐらい美しくすっぽり納まっているのです。あそこもっとこっちだったらいいのになぁというような部位がないのです。もちろん建築設計は平面的な間取りだけではなく、立面や断面、どのように見えるかという見え方まで考えながらすべてをまとめていく作業ですが、そのどれをとってもうまく納まる瞬間・組み合わせというのは確かに存在するのです。
それは、デザイン的なものだけではなく、設備的にも構造的にもあたかもそのことを最初から考えていたかのようなデザインになっていたりします。その瞬間ワイルズは「涙があふれ出し、激しい感動にとらわれた。」と言われています。そういったものが建築設計にもあると感じています。
建築設計と作曲行為は等しい、と以前思っていました。今も思っていますが。ある決められたルールの中で様々な組み合わせや形を考えてはめ込んでいきます。はまった瞬間というのは先ほどの数学の証明と同様、凛として、あたかも誰かに見つけてもらうのを待っていたかのような「もの」が見えます。世に残る名曲というのは何一つ足せない、何一つ引けないほど、あまりにも完璧であまりにも強固なつながりを持っています。
建築の美しさを語り出すときりがありませんが、私が最近はまっている数学からそんな”定理”に気づきました。『私はこのことの真に驚くべき証明を発見したが、それを記すには余白が小さすぎる』なんてね。
コメント
投稿者 藤原 清貴 : 2005年12月07日 22:30
おすすめの「世にも美しい数学入門」を最近読みました。面白かったのでその日に読み終えました。数学は実にエレガントですね。ゴールドバッハの問題も美しいとしか言いようがないですね。美しいからその命題は必ず真のはずである、という数学者の考え方も実にいい。専ら最近は僕も数学や物理の本を読んでいます。この本を読んで「博士の愛した数式」も読みたいなと思いつつも映画化されるならいいか、と思い読んでいません(深津絵里が出るので映像のほうが楽しみ)。でも原作も読むべきですよね。 「天才数学者たちが挑んだ最大の難問」も是非是非読んでみます。
投稿者 橋本@こま設計堂 : 2005年12月07日 23:38
そりゃ、是非原作を読んでください。どうも映画と少しストーリーも違うようですし。こちらも一気に読んでしまえると思います。小川洋子さんの数学者を題材・主人公にした視点がとてもおもしろいと思います。
「美しいから真」というのは実は建築の至る所で当てはまります。ただし、建築の美しさはただ単に美しいだけではなく、デザイン的にも構造的にも設備的にもすべてが過不足無く満足している美しさです。プロポーションだけ美しくて、構造的に無理をしている建物は、真の美しさではありません。う~ん。やはり『余白が少なすぎる』ようです。