まじめに仕事すると馬鹿を見るのか?

最近時々そう思う。

圧倒的に多くの人はまじめに仕事している。でも、当サイトの「積水ハウスの事件」でも書いたが、結局何とかなる。

で、ぼろもうけしている人はたいてい「まじめに」やっていない。まじめにやっている人もいるかも知れないが、まじめにやっていてはぼろもうけできない。

そんな社会が続くと、学生も「馬鹿」になる。
建築学科の学生に限らないのかも知れないが、基本的に「あまり仕事をしたくない」「残業とか肉体労働とか、ストレスの多い仕事はしたくない」「給料は多くほしい」「でもあんまりがんばりたくない」というところに集約されているように思う。

学生が夢を見なくなったらどうなるんだろう。自分が社会でどんな役に立つのか、自分はどうしたいのか、何をすべきなのか、を考えずに、とにかくお金と時間がほしい、ただそれだけ、ってあまりに寂しくないかい?

ブログに同じようなことばっかり書いている(http://www.pap-pro.com/koma/modules/d3blog/details.php?bid=1)が、仕事の原点はそこであってほしい。自分の仕事って本当に楽しいことだと思ってほしい。

と一方的に学生ばかり責められないのかなぁとも思う。
大学の教授陣は学生に「建築って楽しいよ」「こんなに夢のある仕事だよ」ってことを伝えられているのだろうか。学生が教授陣達との貴重なやりとりでそれを感じ取ることができているのだろうか?

閉塞した社会であっても、教育においては夢を持ってほしい、夢を共有してほしい。突き詰めると、教育はその一点だけでいいと思う。技術や知識はあとからついてくるし、学生の時に習ったことなんてすぐに忘れる。必要になればまた勉強すればいい。

まじめに仕事をすることがいかに幸せなことか、そしてそれがまわりの人をいかに幸せにするのか。そう思わない仕事をしている人は、つまるところ不幸だと思います(きっぱり!!)。