バイエルの謎: 日本文化になったピアノ教則本 – 安田 寛 (著)

ピアノを習ったことがなかったとしてもピアノの最初の教材(教則本)は「バイエル」というのを知っている方が多いのではないか。私も「バイエル」でピアノをはじめた口ですが、最近は「バイエルは使わない」という先生が多くなっています。

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 単行本: 280ページ
 出版社: 音楽之友社; 四六版 (2012/5/16)
 ISBN-10: 4276212588
 ISBN-13: 978-4276212589
 発売日: 2012/5/16

すこしまえに、新聞の書評にでていたので気になっていたのですが、やっと読むことが出来た。
前述の通り、私たちの世代までは「バイエル」全盛期ではないでしょうかね。バイエルをやって、ハノン&チェルニーやって、ソナチネやって、という鉄板パターンでピアノを習得することが多かったのではないか。

私のピアノの先生は、作曲家でもあったので(作曲の心得もほとんどここで習ったのだが)、全面的に信頼して先生の一声は神の声かのように漏らすことなく勉強していた。その割りに全くピアノがうまくならなかったのは、私の才能がゼロだったと言うことでおいておいて・・・。その先生もバイエルからスタートしたので、バイエルを最初の教材として使うことに全く違和感を感じてなかった。

ところが、自分で音楽教室を運営するようになって、最近のピアノの先生の話を聞くと、バイエルは使っていないそうで。理由を聞くと「バイエルは、右手が旋律で、左手が伴奏というパターンが多いので・・・」といっていた。

そうなのかと思って、バイエルを見直してみても、決してそうは思わないし、バイエルが他の教則本に比べてたいそう劣っているのか、といわれると、そうも思わない。

ただ、確かに90年代に「バイエルはピアノ教則本としてふさわしくない。バイエルなんて2流あるいは3流の作曲家の教則本を使っているのは日本ぐらいだ。」なんて論争が巻き起こっていたのは確かで、その頃から「バイエル至上主義」の流れが変わってきたんだと思う。その頃私は別の道に進んでいたのでそう気に留めていなかった。

ただ、私を含めて日本の多くのピアノ学習者は、バイエルは最初の教則本で使う他は、全くその名前を聞かないし、中級に進んだ人はバイエルなんてどうでもいい作曲家になっているんだと思う。だから、バイエルってだれ? 実在したの? どんな作曲家あるいは音楽家だったの?ってことにスポットが当たることはなかった。そこへ、切り込んだのがこの本である。

内容はなかなか面白かったと思う。途中、バイエルにどの程度関係があるのかどうかのストーリーも含まれるが、それほどバイエルにたどり着くのが大変だったということで、それも面白い。

著者によると、「バイエル教則本の謎」(ネタバレになるので多くは語りませんが(笑))は、オルガン・賛美歌をベースに「静かな手」で弾けるように工夫されていること、すべての曲が最初の2曲のバリエーションになっているということ、だそうだ。こんな事は別に改めていわれなくても、ちょっと譜面を見ればわかるんじゃないかという「謎」であったことは少し残念であるが、ただこの「謎」を「アンチバイエル派」の最近のピアノ教育者達はわかっているんだろうか、というのは思った。もし、彼/彼女たちがその「謎」を理解して、ピアノ学習者の最初の教材として「バイエル」を指導したとしたら、いろいろ見方も変わるのかなぁと思う。

また、西洋音楽、いわゆるクラシックを感じたり理解するには、キリスト教に対する理解は不可欠である。そしてキリスト教に対する理解は、一般的な日本人には肌で感じにくい部分もおおい。ここは私の勝手な解釈だが、ひょっとしてバイエルが長きにわたって日本人に愛されてきたのは、クラシック音楽を感じるための基礎的なキリスト教に対するフィーリングを知らず知らずの間に身につけることに寄与していたからではないかと思う。それはやはり前述の「賛美歌をベースにしたオルガン音楽」が練習曲になっているからかもしれない。

もうひとつ。私がバイエル教則本が優れていると感じるのは、曲を順に進むごとに「達成感」「やった感」を子供達が感じることができることにあると思う。楽しんで学ぶ、がんばって弾けるようになった達成感や満足感は、学習に不可欠だ。いくら練習になるからといって、いきなりハノンをさせられては、そんな楽しさは味わえない。最初にバイエル教則本で楽しさを味あわせて、ハノンや難しいチェルニーに挑戦していくことが、ピアノを習うという観点からは必要だったのではないか、と思う。

これからもバイエル教則本を、子供達が楽しんで学べる教材として使って欲しいと、改めて思った。