東日本大震災から2年半

震災から2年半の節目である2013年9月11日に、宮城県から岩手県に行っておりました。この写真は宮城県女川町の写真です。昨年(2012年)11月が最初の写真、そして今年(2013年)9月に撮ったのが次の写真。津波で浮き上がって10mほど移動して倒れた鉄骨造4F建てのビルです。この二つの写真で、復興は進んでいると見るか、進んでいないと見るか。

とにかくここにも普通に町があり、たくさんの家や建物があり、多くの人が住んで生活をしていた紛れもない事実があります。

この写真の共済会館と鉄筋コンクリート造の女川サプリメントは「保存検討中」のようです。女川交番は道路などの建設現場になっており立ち入り禁止。

石巻市内では津波の高さは6.9m。この青い看板まで届いています。

 

北上川の水門は地震の揺れでなのか津波でなのか、大きく傾いています。この小屋は、水門の停電時に水門が作動するようにバッテリーを設置していますが、小屋が大きく動いたことで断線したために、正常に動作しなかったと思います。右の写真は、津波で押し倒された堤防。残念ながら継ぎ手部分に鉄筋はありませんでした。

南三陸の防災対策庁舎。解体が決まったとのこと。

気仙沼の乗り上げた船(共徳丸)も解体が決まりました。

こういった地震や津波の象徴的な爪痕は保存するかどうかという議論が必ずあります。
私自身は、原爆ドームと違って自然がしたことです。地元の人たちが受ける気持ちになれば、無理に保存をしなくても良いと思っています。

最後の写真は、大槌町の「災害復興公営住宅」です。大ヶ口地区に2013年8月末にできました。木造の平屋と二階建ての長屋です。もともと町の公営住宅だったところが津波被害にあい、そこを少し盛り土し、新築したとのこと。写真を見てもわかるようにかなり手が込んでいます。工事中に職人さんに文句言われたとのことですが、私はいい雰囲気を出していると思います。手間をかけないといい建築、いい町並みは生まれません。そしていい建築にすまないと、心は豊かになりません。
「これまで仮設住宅にすんでいたときは明日のことしか考えられなかった。ここ(災害復興住宅)に越してきてやっと来月のことを考えられるようになった。」という入居者の話を聞きました。

暗い話ばかりではありません。少しずつ動き始めています。

亡くなられた方にご冥福をお祈りすると共に、生き残った私たちができることを少しでもしていきたいと気持ちを新たにしました。

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