この夏、オーストラリアに家族旅行に行きました。シドニーにベトナムで一緒に研究をした知り合いが家族がいたこともあり、一度いってみようということになりました。
シドニーといえばオペラハウス。はじめていきました。なかなか良かったです。
オペラハウスの設計は、デンマークの建築家ヨーン・ウツソンですが、建設当時の話を聞くことができました。
そのときの話を、大阪府建築士事務所協会の会報誌「まちなみ」の本年(2015年)9月号に少しだけ触れましたので、寄稿文を転載します。
シドニーオペラハウスと言えば、多くの人がその形や風景をイメージできるほどの有名な建築です。1973年に完成したこの建物はもっとも年代の新しい世界遺産でもあります。デンマークの建築家ヨーン・ウツソン設計のこの建築は非運の建築でもあります。
1957年に国際コンペで設計者が決まり、その独創的な形から現実性が議論になりました。フランク・ロイド・ライトは「まさかオーストラリア人はこんな醜悪なものを作らせるのではないだろうね?」と発言すれば、当時の新聞投書も賛否両論の嵐。予定を超える杭の数、工事の複雑さなどから、工費は最終的に予定の3倍とふくれあがります。1963年に完成するはずだった建物の工期は大幅に遅れ、ふくれあがる工費も相まって、1965年の選挙でオペラハウス計画は公共事業省の管轄下に置かれることに。そしてウツソンは内装製作の前に担当を外れシドニーを去り、二度とシドニーに足を踏み入れることはありませんでした。
似たような話、最近聞いたことありませんか?私たちの仕事は、すぐに結果が出るわけではありません。時間の流れと共に評価されることもあります。いまオペラハウスはシドニー市民の誇りになっています。そして誰もが知る建築になっています。