個人差はあると思うが、私自身は先日逮捕されたライブドアの堀江容疑者があまり好きではありません。彼のこれまでの言動にかなりの違和感を感じていました。「なにかがちがう・・・。」
その何かが最近まではっきりとわかりませんでした。そんなときふと別のことで、「自分探し」とか言う安っぽい夢を語る人を見かけました。そこで点がつながった。堀江容疑者と同じだ・・・。
よく「自分のしたい仕事が見つかるまでゆっくり探していいよ」というとんでもなくマヌケな親がいて、若者のニートを増やしていますが、だいたい仕事というのは「自分がしたいこと」なのでしょうか? 少々偉そうな言い方をすると「自分がしたいこと」を考える前に「自分ができること」「社会やその会社で自分がどのように役に立つのか」を考える方が先ではないでしょうか? つまり、「自分が社会に対してどのように役に立てるのか」→ 自分がおもしろいと思うようになって → 「自分がしたいこと」に変遷していくのが今までの生き方だったように思います。
私自身も、常に自分がどのように社会の役に立てるのかを考えています。私が事務所で仕事をすることでどのように社会に還元できるのかを考えます。また、私にも事務所に対していろいろな夢を持っています。マンション問題や欠陥住宅の相談をうけながら、社会がそういうことで悩まなくてすむようなシステム作りができないかと考えます。つまり私が仕事をすることでどのように役に立てるのかを常に自己評価しています。
堀江容疑者が語る言葉には、自分が社会に対してどうしたいのか?会社が世間に対してどのようなことが還元できるのか?がないことに対して、私は違和感を感じていたようです。ただ単に、お金を稼ぎたい、世界一になりたい、という言葉だけでその先に何があるのかが全く見えないことが私にある種の違和感を感じさせた理由のようです。
また、それを支持する人たちが老若男女問わずたくさんいたのです。堀江容疑者は成功したのでしょうか?勝ち組なのでしょうか?もちろん成功や勝ち組の定義にもよりますが。
自分探しというのはバックパッカーとして旅に出ることではなく、自分が社会(会社)に対してどのように役に立つのかを考えることではないかと思うのです。
なんだか小言のようになってしまい、なおかつ事務所のこととは全く関係のない話題でどうもすみません・・・。