シリーズ”ニッポンの住宅 ~住まいを手に入れる~” 3
これからの住まいを考える
 ~住まいに何を求めるのか?~

(写真をクリックすると大きくなります。)
(オランダの子供たちが学校で使っている模型、今回は本文と関係あります!)

 

 前回までは、建物を手に入れる時の注意点やポイントみたいなものをまとめてみました。前回の最後に書きましたように、今回は少し視点を変えて「建物に対して求めるもの」についてまとめてみたいと思います。

 毎度ながら、いきなりで申し訳ありませんが、「あなたは家を手に入れる時に妥協をしていませんか?」
 「どうせ、家って、こんなもんだよね。」「所詮マンション(建売)だから、仕方ないよね。」「自分たちにはこの程度の家しか手に入らないよね。」といった思いこみ、先入観で家を決めつけていませんか?
 昔から、「家は3回変わらないといいものが手に入らない。」なんて言われています。う~ん。これは本当なんだろうか?と個人的には思うわけです。この言葉の背景には、すんでみないと分からない、ということ以上に、生活や住まいに対する日本人の関心の低さというのがあるのかもしれません。

 「起きて半畳、寝て一畳」なんていわれて、最低限1畳あれば生活ができる!みたいな土壌が日本人にはあるのかもしれません。以前本ホームページのコラム「衣食足則知礼節」でも書きましたが、住に対する意識というのは後回しにされてきた感じがします。もちろん戦後の焼け野原の中で、食べるものもままならなかった時代にはやはり食べるものを、日本のように夏と冬の温度差が大きく暑さも寒さもしのぐためには衣に対してこだわりを持ちます。そんな中で「ウサギ小屋」と西洋から揶揄されてもしかたがないような、住環境で我々より年配の方々はがんばってこられました。今の日本があるのは私たちの親やそのまた親の世代が必死になってがんばってこられたから築き上げられたものだと思っています。

 しかし、この飽食の時代。ものが世の中にあふれかえって、反比例するように心が貧しくなってきて、ぎすぎすしてきた時代。ふと住環境を振り返ると、果たして豊かな生活をしているだろうかと思わずにおれません。誤解を恐れずに言いますが、今のマンションや建売住宅が、いかに床面積が広くなったとしても、私には豊かになったようには見えません。もちろん、住み方次第ではあります。中には本当に豊かな暮らしをしているんだろうなぁと思う、マンション暮らしや建売暮らしはあります。私はいつも言っていますが、自分が設計事務所をしているからといって世の中の全ての人は家を手に入れる時に設計事務所に設計を頼まないといけない、というつもりはありません。設計事務所に頼むと面倒なことがたくさんあります。出来合のものを買ったり、ハウスメーカー風に全部決めてもらったりする方法もその人に合えばとってもいいものになると思います。

 では何故、人々の暮らしが豊かなんだと思わないのでしょうか? 住まいを手に入れる(所有する)ことが目的となっていて、手に入れた先の生活・家族関係の構築などに関心を持たない・持てない、からではないかと思います。本当は住まいを手に入れるというのはあくまでも手段であって、目的は家族や家族の生活をよりよく作っていくことのはずです。それができていないのが今の私たちに欠けていることだと思います。

 コラム「衣食足則知礼節」でも書きました。我が国では義務教育において住について考えたり学んだりすることがあまりにも少なすぎるのではないかと。

 だから、住まいに対して何を求めたらいいのかと言うことを多くの人が分からないままでいるのです。建築、特に住まいに携わる仕事をしている一人として悲しい現象だと感じています。

 ここで、二つの例をご紹介します。どちらもオランダでの話しです。

 ひとつは、このページの最初にある写真。クリックすると大きくなりますので見てみてください。
 これは、2年前にオランダのとある国際会議に出席した時に、空き時間にロッテルダムのある美術館(博物館だったか?)に入って撮った写真です。説明書きによるとこの模型は、オランダの建築を学ぶ大学生が作成し、子供たちがそれぞれの建物や道路・橋・線路・公園などを自由に並べて、自分たちが作った街を、CCDカメラ(写真の左から1/3あたりに上部からつり下げられている丸い棒の先に取り付けてありました)でディスプレイに写して、まちづくりや景観を学ぶもの、だそうです。CCDカメラは縦横に自在に動くので大人が使ってもおもしろいのですが、これを子供たちがキャーキャー言いながら使って、遊びながら、都市計画や建築と都市の関係、景観や建物の表現、などを学んでいく姿を想像するとわくわくしました。おもしろいなぁと思いました。また、子供の時にこのような経験をしていると、実際の街で建物や道路、鉄道などのあり方に関心を持つようになり、彼らの心に中にしっかりと都市と建物という概念が形成されていくんだろうなぁと言う印象も持ちました。

 もう一つは、もう10年以上も前の話しです。同じくオランダの片田舎の話しですが、とある個人(老夫婦二人暮らし)のお宅におじゃまさせてもらい、たまたま「あんた何してるの?」みたいな話しになり「建築の勉強をしています。(当時まだ学生でしたので・・・)」というやりとりをすると、そこのお母さんが、突然「この建物のはねぇ、築何十年で、設計はだれで、前にすんでいたのはこんな人で、ここが良くって、ここが不便で・・・」とたてつづけに建物の話しを始めました。「へぇ、いい家持っているねぇ。」と言ったら「賃貸だよ!」ってつっこまれてしまいました(笑)。
 設計者の名前なんか聞いたことがない人でしたし、たぶん「世界的に有名な」設計者ではないと思います。(なにぶん覚えていないもので・・・。)でも、自分の住んでいる建物の設計者や築年数をすらすら言い、この家の良さ・不便なところ(不便さを楽しんでいるようでしたが、)を一生懸命東洋から来た学生に説明する姿は非常に感動的であり、自分の住まいを本当に誇りに思っているんだなぁと思いました。

 もちろんヨーロッパと日本では文化が違います。オランダがやっているようなことを日本でしないといけないと言うことではありません。しかし、この二つの話しはこれからの日本の住まいを考えるのに一つのきっかけになるかもしれないと思います。

 前回でも聞きました。「あなたの建物の設計監理者は誰ですか?」、と。

 今回はもう一つ加えます。「あなたは自分の住まいに誇りを持っていますか?」、と。

 今回のシリーズはこれで完結にしたいと思います。
 これらのお話をお読みになって感想頂けるようでしたら、是非コメントを下さい。私を始め、同じような目的でがんばっている人たちの励みになります。