意匠・構造・設備

政治が危ない。日本人はやはり風に流される。今風の言葉で言うと「空気を読む」っていうんだろうか。郵政解散と全く逆の現象がこの夏に起こりそうな予感。恐ろしい。

結局郵政解散で自民党が無駄に大勝したこととこの夏に起こりそうな無駄に民主党が大勝することと結局は鏡像でしかない。そこに国民の意思は全くない。マスコミに踊らされて、自ら何も考えない人たちが、右を向けといわれたら右を向き、左を向けといわれたら左を向く、全くもう・・・(_)

だいたい都議選なんていつから「政権争奪杯」になったんだ?
都議会なんて共産党のぞいてオール与党だったのではないか?
というより、地方の議会なんてほとんどがオール与党の出来レースだろう? それがいつの間にか「民主党に政権任せてください」だと。はぁ?って感じにどうして都民は思わないんだろうかね。

だめだ、政治的な発言を事務所のHPでやってはいけない。これ以上興奮すると爆弾発言が飛び出しそうだからやめておきます。いずれにしても「自分の頭で考えてほしい」ということ。これは「こま設計堂」の基本スタンスでもある。設立理念でもある。

自らで考えることを放棄して、誰かの言いなりになってよければ、超有名な(自称)建築家の大先生のところに行くか、ハウスメーカーに行くかすればよい。すべて決めてくれる。場合によっては「それはできない」「それはかっこわるい」そもそも話を聞いてもらえない・・・なんてことになるかもしれないが。

でも、こんな楽なことはない。ただ、同時にこんなむなしいこともない。と私は考える。

だから、自らの頭で考えてほしい、ただただそれを望み、それをお手伝いできる事務所でありたいと思っている。

さて、タイトルは「意匠・構造・設備」とつけて書き始めたら、偉く遠く回り道をしてしまった。

建築業界は例の姉歯にーさんのおかげで、制度がずいぶんと見直された。確認申請の手続きや建築士法などだ。

それ自体は決して悪いことではない。姉歯にーさんに足を向けて寝れないぐらい偉大な功績だと思う(もちろん皮肉だよ)。

その中で、建築の設計監理は「意匠(狭義のデザイン・いわゆる「みかけ」ってやつだ)」と「構造」「設備」の3つに分かれるんだということが世に知らしめられた。よって一級建築士のほかに「構造一級建築士」「設備一級建築士」なるものが創設された。

ただ、設計事務所をやっていて時々この区分で間違っていないんだが、十分でもない気がするときがある。「意匠」の連中は「意匠」しか気にしない、「構造」は構造以外のことを自分の専門外だと思っている。設備も同様。本当は「意匠」をする人が構造や設備をある程度まとめてから、詳細な設計をするのであればいいのだが、なかなかそうしない。あからさまに「私は構造はできませんから」とか「設備は苦手です」とか、のたまう。

いや、まぁこれが日本の建築界の現状です。ホントすみません。って感じだ。

で、ふと思ったのが、
「意匠」は人を見ず・・・
「構造」は人が不要で、
「設備」は人しか見ない。
こんな関係になっているのかなぁと。

デザイン最優先の人は依頼者を見ずに自分の作りたいものをがりがり押してくる。構造は計算するのに依頼者の有無は関係ない。設備は暑い寒いや水が出ないなど日常生活に直結するので使用者を気にする。

その上、設備や環境って人を扱うだけにわからないことがいっぱいありすぎる。さらにまだまだ発展の余地がある。学問としてはなかなかおもしろいのである。

そんなわけで、かなり散文になってしまったが、いろんな人にいろんなメッセージをまとめて書こうとしたら(簡単に言うと横着したら)こうなったということで、ご容赦願いたい。