「最近の建築現場の職人さんはかわいそうだ」というのはよくいわれる話。
大工さんにしても、左官屋さんにしても、塗装屋さんにしても、今は現場でするのはほとんど組み立てたり混ぜたりするだけで、極論を言えば「職人の技」というものが無くてもほとんどのことができちゃう。裏を返せば、その辺のアルバイトでも十分できちゃうわけです。
みんな(消費者)がそれを求めた。その結果がこうなったんだからある程度は仕方がないように思うのですが、”職人”といわれる人がちまたから姿を消すようになったことを嘆くのはよく聞く。
プレハブといわれるハウスメーカーの住宅や最近の工期が短くとっても安いマンションなどを見ていたら、現場でしていることというのは「組み立てるだけ」という状態。だから、「技」なんて邪魔なだけで「取扱説明書」を見ながら組み立てれば、だれでも簡単にできちゃうわけです。
そこで、ふと思うのですが、「建物ってどこで作るのか?」なんて当たり前のことを聞いてみたらどうなるのでしょう。「現場」というのは昔の話で、今なら「工場」というのが正しいのかもしれません。
で、建物だけかと思いきやそうでもないことに気づきます。
「肉はどこで作る?」「みそ汁はどこで作る?」「鯖のみそ煮はどこで作る?」
「工場」と言われれば間違っていないような気がします。
冷凍食品が幅をきかせるようになって、家庭用だけでなく業務用もほとんど温めるだけ状態。腕利きのコックが早朝から仕込みをして・・・なんてことは昔の話なのかもしれません。
だから技術も身に付かないし、継承されない。技術を持つ人はその代で終わり、ということになってしまうのでしょう。
職人やコックがかわいそうだというのか、それも時代の流れだからというのか?
ただ、少なくとも、家庭に振り返って考えると、子供が”親や近所の人の作る”「食事」や「おもちゃ」「洋服(手直し)」などを見たり、家づくりの現場に入りびたったり、なんてことがなくなることが、いいことなのか悪いことなのか・・・。
「ご飯はチン」しか知らない子供が大人になるとどうなるのでしょうか?
コメント
投稿者 丸嘉 國枝 : 2006年06月21日 20:35
御世話になっております^^
時代なのでしょうか・・本当に今流れが速いですよね。
せわしなくって、辟易します。
先生が携わるお家、生活にはゆとりが感じられますよね。
先生自体が余裕持って、生活をされているからでしょうか。
そのゆとり、僕もほんとに見習いタイです。
投稿者 橋本@こま設計堂 : 2006年06月21日 21:04
丸嘉(まるよし)の國枝さん
コメントありがとうございます。
かくいう私もびっくりするぐらい速いスピードで時間が流れているのを感じています。
私なんて、余裕を持った生活なんてしていません。きゅうきゅうです。(なんてこんな所で発表していいのだろうか・・・。依頼者の方が見ていたら・・・。)
ただ、物事を考える時は「ゆったりした気持ちの時に」考えるようにしています。あくまでも、「気持ち」であることが大事ですが・・・。