コンピューターは便利だが・・・。

 私は、コンピューターがだめだ、というつもりはありません。私の今の仕事の95%以上がコンピューターに頼っている状態ですので、それ自身を否定するつもりはありません。しかし、今の学生の身に起こっている状況は「コンピューターで図面を書く」という行為がもたらしたものだと確信します。

 建築教育において、コンピューターが引き起こす問題は大きく2点あると思います。
 1つは、「とりあえず」図面が書けること。
 もう1つは、「一人でできる」こと。

 1つ目の「とりあえず」図面が書ける、事に関しては建築教育にとって最も重要な”想像力”を奪っているのではないか、すら思うのです。前回、私が卒業設計をしていた頃は手書きだったので、きっちりとレイアウトと全体のバランスを考えながら書かないと、あとから修正できない、ということを書きました。

 つまり、サイズの決まっている大きな紙の、どの部分にどの程度の大きさの図面を書いて、解説や色つけなどはこの範囲でやって、ここにはこのような図面を入れて、といった最終形をかなり明確に意識していないと、「とりあえず」書き出す、ということができませんでした。

 しかし、コンピューターはそれを容易にします。先のことは考えずにとりあえず書き始めることができるのです。これは非常に大きな問題です。あとから移動が簡単にできるというのはコンピューターをつかった製図のメリットですが、思考や表現力の発達段階の学生がこれを行い、実際の大きさの紙ではなくコンピューターの画面上だけで一人で考える、という行為は、想像力を奪い、最終的に自分が何をしたいかというテーマ性を失いかねません。一歩間違えると独りよがりに陥ってしまいます。

 また、図面を製図板に貼り、制作をしていると、そこを通りかかった友達に「どう思う?」とか「これ変やで!」等と言った意見を出し合い、お互いに刺激しあえるものですが、コンピューターの画面の中だけでは、他人も意見しませんし、人の図面にもコメントできません。もっとも画面で見た表現と実際に印刷した表現では全く異なるものです。

 そう、これが二つ目の問題「一人でできる」ということです。
 某大学の建築学科3回生、4回生には、大きな製図室という場所があり、一人一机と製図板が当てられます。それも、席を固定してもいいので、常に自分の席と場所があるという非常に他大学からすれば恵まれた環境にあります。

 私たちが学生の頃は、一日の大半を製図室で過ごしたというほどです。製図室に先生は滅多に来ませんし(笑)、勉強するにも、図面を書くにも、友達と遊びに行くにも非常に便利なところでした。非常に居心地がよかったのを覚えています。また、同時に建築の基礎的な考えを作る上では非常にいい場所であったと思います。設計製図の提出間近になるとほとんど泊まり込みで、講義の授業で講義室に行く他は食う寝るを製図室で過ごしたことも多かったです。そこで学年40 人ほど(現在は30人ほどです)が一斉に図面を書いていました。当時から家でやる奴も数名はいましたし、ぎりぎりまでしない奴もいました。しかし、常に同級生の図面が広げてありましたので、同級生のすすみ具合や表現方法などを見て、自分で使ってみたり、その逆もあったりと、それぞれがお互いに刺激しあっていました。先輩からかっこよく見える方法を聞いてくる奴がいたり、それは活気のある場所でした。つまり一人で得られる情報や刺激はしれているのですが、 40人いれば、40の頭と目があったので、その情報を共有することで切磋琢磨することができていたと思います。

 そう、その製図室というのがここ数年で大きな変化を見せているのです。コンピューターで図面が書けるようになると、みんなだんだん製図室に行かなくなるのです。家で図面を作成する人が出てきます。他人の図面を見ることもなくなり、他人に問題点やアドバイスを受けることもなくなるのです。

 これは建築教育にとって非常に大きな損失です。先程も述べましたが、一人でできること、得られる体験はごくわずかです。それが学年全体になるととてつもなく大きな力になります。それが発揮できないと言うのはいつまでたっても独りよがりから脱却できません。

 製図室では、友達とバカを言って若さにかまけて遊びほうけることもありました。しかし、酒を飲みながら、麻雀をしながら、建築や有名な建物・建築家について夜を徹して議論をしたことも数知れません。そういった友達との意見交換やコミュニケーションが私の建築に対する考え方やアプローチの基礎になっていると今なら思えます。

 それができない(しない)、今の学生はやはり不幸だと思います。

 そして事件が起こるのです。次回に続く。


コメント
投稿者 ちよ : 2005年02月25日 14:24

このHPの管理人と同級生の某です。

文章を読んで学生時代のなつかしい充実していた日々を思いだしました。
思えば、非常に恵まれていた環境だったと思います。

一人一人に製図台があり、エスキス机と称する溜まり場があり、廊下挟んで隣には卒業設計に追われる先輩がいて、建築を熱く語るやつもいれば、設計の締め切り間近まで麻雀するやつもいて、ブースごとに色んな音楽が流れていて、きちっと整理されている席から、ぐちゃぐちゃの席から、スラム化してしまっているブースから、なんだかどれも懐かしく思いだされます。

ま、そのころと、生徒の質も、先生の質もそう変わっていないのかもしれませんが、少なくとも私のいた頃は生徒の大半が、このありがたい環境を堪能していたように思います。

かくいう私自身も、製図の締め切り間近は下宿にこもりがちでしたが、それ以外の平穏な日々は、みなでよくハイをかき混ぜて中国語の勉強をしていたものです。

そしてその頃できた人間関係は、かけがいのないものであり、勉強以上に得がたい経験だったと思っています。

仕事はすっかり建築を離れてしまった私ですが、建築業界で働く先輩、後輩そして同級生とは、今でも連絡を密にとり、活躍している話など聞くとうらやましくもあり、とてもよい刺激になります。

このありがたい環境「だけ」が取り柄と言っても過言ではない某大学の建築学科の最近は、この取り柄「さえ」堪能しない生徒さんも多いとの事。

非常にもったいない。

ここで得られる同世代のつながりは、社会に出たらなかなか得がたいものです。せっかくのありがたい環境ですから是非堪能してほしいものです。

投稿者 橋本@こま設計堂 : 2005年02月25日 19:19

ちよちゃん、コメントありがとうねぇ。

そう建築は誰か特定の人のものではなく、それを見る・使う・感じるすべての人のためにあります。否応なしに世間にさらされるわけです。それはすなわち、設計をする人が「いかに多くの人の気持ちを考えることができるか」につながります。それにはただひたすら経験を積むしかありません。設計者がいくらがんばったところで一人では建物は建ちません。

そのコミニュケーション能力を身につけるのも、建築教育の大事なところで、その役割を以前の「製図室」が担っていたんだと思います。

かっこよすぎるかなぁ?

実際は、麻雀したりカラオケに行くために集まったりした場所

でしたけどね(笑)。

投稿者 hara : 2005年02月25日 21:36

私もこちらの管理人と同級生(には見えんが)の一人です。
確かに思い出が山ほど詰まったあの製図室、久しぶりに訪れてみると目頭が熱くなる、我々にとっては「聖地」ですよね。
(言い過ぎか?)

昨年、「悲しい物を見せちゃる。いっぺん来い。」と管理人に誘われて後輩たちの卒業設計を拝見しに参りましたが、確かに少し寂しい気持ちになりましたね。

現実の工事現場において、図面から「ぬくもり」だの「設計者のキモチ」だのを施工者に伝える必要が有るかというと、確かに無いかも知れません。そんな物より伝えて欲しいのは「正確な情報」であり、設計者の「意図」は尊重しても「熱意」など余計であると言えばそれはそれで正論であるとも思えます。

我々現実の仕事人にとって、今は手にする図面のほぼ100%がCADによる物です。私自身、今は完全に100%、設計図も施工図もCADを使用しております。

でもね・・・

現在、施工者として働く私は設計図書を非常に大切に扱うよう、心がけています。そういうクセがついています。設計事務所から受け取った設計図を持った帰り道、突然雨が降り出しても、上着の下に入れて絶対に濡らしません。
絶対に折り曲げたり、床に置いたりしません。

もちろんその図面はCADで書かれており、濡らしたり、なくなったりしたらいつでも複製できます。それでも大切に扱います。会社の若いスタッフにも、極力そう指導しています。

仕事を進める上で図面は絶対的に大切な存在であり、大切にするのは当たり前です。今の学生たちは、私たちの世代に比べ図面に対してそういう気持ちは強くないのだと勝手に想像します。
この気持ちが生まれたのは、「CAD禁止」という今では考えられない環境下で、志を共有する仲間と一緒に一日の大半を製図室で過ごした経験があるからだと思いますね。

非常にクセのある特定の有名な建築士を指して、彼の設計する建物が好きか嫌いか、好きならナゼ好きか、嫌いならナゼ嫌いか。お互いの意見を尊重し合い、朝まで語り明かす、なんて経験、学生のうちにしておいて欲しいですね。卒業したら、そんな機会めったに無いですし。そんなヒマも無い。
そんなバカみたいな経験が今、仕事で書く図面に厚みを持たせていることは疑いないです。

久しぶりにやるか?みんな。

投稿者 橋本@こま設計堂 : 2005年02月26日 08:37
 
原君ありがとう。

確かに図面に「ぬくもり」はいらないと思うが、「設計者の気持ち」はいると思う。「設計者の気持ち・考え」=「施工に足るだけの十分な情報」になるはずだから。つまり、設計者・施工者・施主の共通言語が「図面」であるはずです。そこには小難しい用語やわかったようなわからんような横文字、難しい日本語や抽象的なイメージなどは全く不要であり、図面が厳然と存在すればすべてがきっちりと伝えることができるはずです。

もちろん学生時代に、独りよがりの理論やプロセス、アプローチを、時間を掛けてすることはとても大切です。しかし、それで終わってしまったら建物は決して建ちません。それを正確に伝えるすべを身につける必要があるからです。

あ、ところで、設計でCAD禁止の大学は結構あるよ。私個人としてはCADは禁止の方がいいと思います。手で書ける人はCADでもきっちりと図面が書けます。しかし、逆は成り立ちません。
またこのご時世、手で図面が書けるのは学生時代だけですから。